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5-[あなたの隣で歌うアリア]
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「…白石―――――――――――――――!!!!!!」
絶叫が響く。自分の声だ。
ああ、止められなかった。
帰られなかった。
返られなかった。
変えられなかった。
また、同じ結果。同じ、結末。
「…しら、いし」
謙也が茫然とその人を呼んだ。
千歳を支えていた足が崩れて、その場にしゃがみ込んだ。
千歳。
あの声が、欲しかった。
なにを引き替えでも、欲しかった。
俺の一生、お前にやるから。
くれるなら、一生守ると、願ったのに。
千歳。
あの、笑顔が欲しかった。
千歳。
あの、細い身体が欲しかった。
千歳。
あの、心が欲しかった。
彼を作る、全てが欲しかった。
「泣くんは早いで」
「……侑士?」
いつの間にそこにいたのか、いたのは謙也の従兄弟だった。
「千歳、顔あげぇ」
「……」
「千歳」
「…無理たい」
「無理やない。……俺がなんで氷帝行ってへんと思っとる」
侑士ははっきりとそう言った。
雨が彼を濡らす。
「それは、親の…」
「特待の推薦もらっててか? 寮やってアパートやって親が出すて言うてくれたんや。
氷帝の高等部にならいくらでも通えたわ。実際、岳人とまたダブルスやりたかったしな」
「…ほななんで」
「…中学の卒業前頃からかな。何度も、蔵ノ介が死ぬ夢を毎晩見るようなってん。
歩道橋からあいつが落ちる夢。
繰り返すうち、あれが未来やって、なんでか俺にはわかった。
せやったら、なんか意味あるって。やったら変えられるんちゃうか……。
そうやって、俺は部活に縛られる必要ない学校を受けた」
「……」
「俺も、時は越えてへんけど、お前と同じようなもんや。千歳」
「……忍足」
「未来から来た、蔵ノ介を死なせたことのある、死なせたない二十歳のお前は、確かに、…蔵ノ介の未来、変えたんや」
侑士は歩道橋の影を振り返る。
そこから、足を軽く引きずった白金の髪が現れた。
茫然としゃがみこんだままの千歳と視線を合わせて、ただ微笑んだ。
「……未来から来とったんか。お前」
そう言った、人。
「…白石?」
「俺が丁度落下地点におってな。受け止めたさかい。もう安心やで」
自殺ちゃうんやん、と侑士。
「…千歳」
軽く引きずった足が、千歳の前で止まる。
濡れそぼった身体が、千歳を抱き締めた。
「…千歳」
ただ、微笑んで、彼は言う。
ただ、愛して。
「好きや……………」
その言葉に泣いた。
ただ、彼を抱き締めて泣いた。
生きている彼を抱いて、ただその事実を、望んだ結末を。
受け入れて泣いた。
抱き締める腕は緩まず、微笑んで、もう一度。
「好きやで……」
そう言った。
言って、くれた。
白石のマンションに帰ると、今の千歳が結局捨てられず戻っていた。
忍足が事情を説明して、未来の自分を見れば、流石に疑えず、自分に嫉妬して酷い言葉を吐いたと千歳は泣く程謝って白石を抱き締めた。
未来の白石が死ぬ筈だったということを知って、彼はすぐ大阪来る。
すぐ大阪に転校するから、待ちなっせと抱き締める腕を強くした。
あれから、三日が経った。
「…やからな……いつまで拗ねてん」
部屋でまるまる大きな身体に、白石は呆れてダイニングへ向かってしまった。
ベッドに腰掛けた忍足が。
「お前阿呆やなー。千歳。未来の自分に嫉妬すんなや。今の白石にはここ最近傍おった未来のお前の方が接しやすいんはしゃあないやろ」
「…それ以上笑うとはりかかんね」
けらけらと笑う忍足を睨んで、この時代の千歳は恨めしげに白石の去った扉を見つめる。
「そら、…母さんのことで手紙しばらく出せんかったけんど…未来でも憎かよ…。
俺にはあんな風に甘えてくれんかったと……」
「まあええやん。未来のお前は近いうち帰るんやから。そしたら甘えてもらえ」
「…好き勝手いいよっとね…………」
死ぬような声を響かせる千歳に、忍足は矢張り笑うだけだ。
「はようこっち来て、毎日好きっていったれや。そしたら、あれは一生お前のもんなんや」
「…一生?」
「今のお前って信じてる未来のお前に蔵ノ介が言うたんやと。自分の一生、お前にくれるってな」
一瞬固まった千歳に笑ってやる。
「そんなわけで、蔵ノ介は一生お前のもんやさかい。せいぜい大事にせえ」
その言葉に、千歳はやっと柔らかく微笑んで頷いた。
「ええんと? 過去の俺放置はかわいそうたい」
「お前は…」
ダイニングで白石を手伝う千歳に、白石は呆れる。
「もうちょい、俺を大事がれや。そら未来にも俺はおるけどな。
今の俺を軽んじてええわけちゃうで?」
「…そら大事たいよ? けんど………今の俺の気持ちもわかるたい」
「……お前、たまにへたれよな」
夢で侑士は近いうちに千歳が未来に帰ると見たという。
「…向こう、ちゃんと俺おるとええな」
「おるたい。絶対たいね」
「…やったら、離すなや? 一生、お前にやるんやから」
「…誓っちゃるよ」
「…ん」
白石の持つコップを受け取ろうとした千歳の指先から、コップが落ちて割れた。
音に驚いて、寝室の二人がやってくる。
「…千歳」
その腕が、透けている。
「……時間みたいとね」
「……阿呆、早いねん」
白石は泣きそうな顔で呟く。
とん、とその透けていない胸にしがみついた。
「今の。白石離したら、許さんとよ?」
「はなさん。絶対たい」
「ならよか。俺が帰る未来に、白石がおるよう頑張るたいね」
「好き勝手いいよっとらんで帰れ」
「ひどかね。…白石、今の俺はたいぎゃひどか奴たい〜」
「俺の白石に抱きつくんじゃなか!」
その声に白石は腕の中でくすくすと笑った。
「おかしいなぁ。千歳が二人やなんて。こんな光景、もう一生みれんわ」
「みれんでよかね。お前の前には、一人の俺で充分たい」
「そやな……」
その腕が千歳の首に伸ばされる。
「……最後、一回だけ。未来の俺に、餞別持ってけや」
「……」
うんと頷いて身体を引き寄せて骨が痛むほど抱き締めた。
深く、深く口付ける。
身体はどんどん透けて、抱き締めていた白石の腕は空気を切る。
泣きそうな顔をした白石の髪を撫でて、微笑む。
「白石…」
「……なんやねん」
「……愛しとうよ」
「…当たり前や」
「……ああ。…当たり前たい」
もう一度口付けたが、透けてしまって感触はなかった。
「……一生、離さんから、覚悟せ?」
「望むところや」
「一緒に死んじゃるよ」
「…願ってもないわ。千歳」
「ん?」
「…来てくれて、おおきにな。…すごい、幸せやった。
有り難う。…俺は、一生お前を愛するから、……やから」
涙を、もう拭ってやれない。
「……好きやで。………有り難う……………」
「…うん」
そう答えた瞬間、千歳の姿はその場から光になって消えた。
それを辿って、泣きながら微笑む白石を抱き寄せて、今の千歳は、“礼言い忘れたたい”と呟く。
鼻が鳴った。彼も泣いたのかもしれない。
「…俺に言うとけ。阿呆」
その腕を握って、ただ笑った。
目が覚めると、自分のアパートだった。
帰って、きたのか。
現実感がない。
記憶は全てあった。カレンダーと携帯の時刻が、未来だと教える。
ここは、どこだろう。
すぐ記憶が一致する。
ここは、大阪の家だ。
母親が逝去したあと、親が仕事で大阪に就職が決まり、大阪に越して来た。
そして―――――――――――――――。
ばっと立ち上がって寝室を飛び出す。
そこはダイニングだ。
卵の焼ける匂いがする。
立っていた細い背中が、振り返る。微笑む。
「おはよ。千歳」
泣きたくなった。世界中を愛したいくらいの喜びで。
顔を歪ませて笑う千歳に、あのころから背が伸びなかった白石は笑って“もうすぐ朝飯でけるからな”と言う。
ここは白石と自分の家だ。
高校卒業後、親に頭をさげて白石と結婚する許可をもらった。
式を、海外であげてきたのは先月の話だ。
「…白石」
「こら、“白石”はないやろ。俺もう白石蔵ノ介ちゃうねんで?」
「……すまん。蔵ノ介」
「ま、俺はお前んこと千歳て未だに呼ぶけどな」
言って彼はけらけらと笑う。
その背中を抱き締めると、焦げるやろと鳩尾にひじ鉄。
呻く千歳に、白石は微笑んで。
「ああ、千歳」
「おかえり」
キミを失って、ひたすら探したキミがいる未来への最後の折り返し地点。
ただ走って探して、僕はそこで、キミを見つけた。
END
→後書き
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